『昭和の教祖 安岡正篤』 塩田潮著
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……  昭和天皇の崩御から一カ月さかのぼった昭和六十三年十二月十三日のことだ。この日は安岡の五回目の命日に当たっている。宮内庁長官の藤森昭一と全国社会福祉協議会会長の座に収まっている翁久次郎、かって安岡の秘書だった林繁之の三人が集まって安岡を偲んだ。
「この夏、陛下が静養されているとき、那須にお訪ねしたんだが、そこで安岡先生の話になってね」
藤森が安岡を思い出しながらぽつりぽつりと話はじめた。
「僕は陛下に『安岡先生を囲む会』の話を申し上げたんだ。安岡先生はあの会で一度、終戦の話をされた。『終戦の詔書は、いったん陛下のお言葉になった以上、その経過をあれこれと語るべきではない』とおっしゃった。僕はそれを陛下にご報告申し上げたんです」
「そのとき、陛下はなんとおっしゃったのかね」
先輩の翁が身を乗り出して尋ねる。
「何もおっしゃらなかったんですが、黙って何度も深く頷いておられました」
藤森は、天皇が安岡と同じ考えを持っていたことをそれとなく二人に伝えた。  ……
……  昭和五十六年五月、安岡は天皇主催の春の園遊会に招待され、新宿御苑で天皇と顔を合わせた。

「いまも勉強をしておるのか」
 八十三歳の安岡に向かって、八十歳の天皇は尋ねた。安岡は、直立不動の姿勢で小学生のように大きな声をあげて「はい」と答えた。

 安岡が昭和天皇と顔を合わせるのはこれが初めてではなかった。まだ妻婦美が健在だったころ、夫婦で園遊会に呼ばれたことがあった。

「安岡、終戦のときは苦労をかけたね」

 この時天皇は言葉をかけた。安岡が終戦の詔勅の草案に筆を入れたことを取り上げて一言、礼を言ったのである。安岡はよほど嬉しかったのか、この話を何度も周りの者に語って聞かせた。(『関西師友』平成元年三月号所収、伊藤節子著「父安岡正篤を語る」参照)
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